
人道の丘公園にある、杉原千畝(すぎはらちうね)記念館です。…【地図へ】
1940年の夏、リトアニアのカウナス日本領事館のまわりは、ポーランドからナチスドイツの迫害を逃れてきた大勢のユダヤ人でうめつくされていました。
彼らには、日本への逃げ道しか残されていませんでした。
みんな必死に「日本を通るビザをください。」と千畝領事に訴えました。
千畝は、外務省に許可を得ようとしましたが、許可されませんでした。 |

本国からの指示に従うか、人道を優先するか。
千畝は一晩悩み(書面にその葛藤が残されていました)、ビザを発給すると決めました。
千畝の救った命は、6,000人と言われ、戦後その救われた人々から見つけだされ1985年にイスラエル政府から表彰されるまで、その功績が注目されることはありませんでした。
とても地味な話なんですけど、自分の住む地域の近くにこういう人が居たというのは、誇らしいですね。国や民族・人種を超越した「人道」とは何かを考えさせられます。 |

八百津町北山地区の棚田。
八百津町北山に棚田があるという情報を得て、行きました。(以前、このサイトで言ったことですが、日本の田圃の美しさは、注目されるべきだと思います。)
稲刈りが終わっていたり、荒れ地になっていたりで、なかなか綺麗な棚田の風景が写真に撮れなかったんですが、ようやく捉えたこの一枚と言う感じです。 |
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